貧困家庭に暮らす子ども達の窮状を見るに見かねた民間支援が続いています。
しかし,民による「学習支援」「子ども食堂」など「補充と代替」(孝橋正一)の盲目的独り歩きは結果的に国責任の肩代わり(または施策停滞への加担)に終わりかねません。
問題の急性期を乗り越えた主宰者(大人)による,もう一歩踏み込んだ,「貧困な子育ち」状況の社会的代弁行動(アドボケーション)に期待するところ大です。
もちろん「地域の茶の間」「地域食堂」など民による新機的コミュニティ創りに敬意を表すものではあります。
※当記事はFaceBookでのコメントに関連して投稿したものです
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