(写真は本文と関係ありません)
ある障がい福祉系イベントへ参加した方からのSNS投稿です。(転載許可済)
○○の○○○展へ。会場内に十数名いるスタッフのお喋りがすごすぎて、うるさくて全然観賞できなかった。全員が笑いながらぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。
聴覚過敏なので少し静かにしてもらえないか…と頼んだところ完全に障害者扱い。子どもに話しかけるような、施設の利用者扱いというか。(普段そういう扱いしてるのもどうかと思う)ノーボーダーというテーマらしいけど、ボーダーを引いているのは他でもないスタッフだ。作品はすてきなものもあったけど、展示の準備もできていないしはっきり言ってお客を呼べる状態ではなかった。
がっかり。その一言につきる。
私はこの主催団体の発展成長に期待する立場から当該団体へご連絡を差し上げましたところ次のような反応でした。
押木様>…ご意見をありがとうございます…ご迷惑をおかけしました…
わずか5分後の回答(多分,事実確認や組織内検討も無く?)は事の重大さと心に受けた傷の深さへの気づきや配慮などが微塵(みじん)も感じられない事務的なものです。組織としての責任・覚悟のない形式的な態度に憤り(いきどおり)を抑えきれず,年甲斐もなく次のように打ち返しました。
○○様>…私がお伝えしたのは「意見」ではなく「事実」です。…彼が受けたのは「迷惑」ではなく「傷」です…
現役の頃,私は福祉を目指す若い学生の皆さんへお話しさせていただきました。
- 福祉は地域や利用者さんからの「感謝」のことばに溢れる素敵な世界です
- 感謝される「良いこと」の実践はある種のここち(気持ち)よさを伴います
- しかし,感謝されることの快感が目的となってはいけません
- ましてや,自己陶酔のために対象者を利用してはならないのです
最近のネット上には連日のように福祉系イベントの企画案内が流れています。もちろんそれは真摯で誠実な取組で,心からのエールを送るものです。
ただ,利用者存在を忘れた「良いこと実践への賞賛」,自分向きの「自己評価への満足」,仲間内盛り上がりの言葉遊びで装飾された「福祉ゴッコ」の一人歩きだけは厳に慎み(つつしみ)たいものと思います。
生活者の命に真っ向から対峙する気骨ある実践に期待します。
※年寄りの憎まれ口をお許しください。
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