子どもがまだ幼少の頃,オンボロのキャンピングカーで毎年の夏休みに10日間くらいずつ北海道の各地を旅行していました。
旅の基本はガイドブック記載の観光地巡りでしたが,今でも記憶に残っているのは道内移動中に各地で偶然に巡り会った無名の景色です。
函館の変哲ない坂道,ニセコの白いジャガイモ畑,灰色に広がる積丹の海,流氷もなくただ明るい紋別港,誰も入らないサロマの砂浜,能取湖の燃えるサンゴ草,もう開かない駅舎喫茶店,何もすることのない直線道路,砂に消える風蓮湖先端の道…どれもこれも息を呑む美しさばかりでした。
確かに,本物には人を沈黙させる力のあることを実感しました。(隣県,某駅前寿司店(寿司ネタ)の大音響アナウンスやケバケバしい広告看板の中華街も嫌いではありませんが)
しかしやはり,勇壮なシンフォニーの中でも心惹かれるのはアダージオ(adagio)でありピアニシモ(pianissimo)な演奏部分(心象)です。
ですから,僅かばかりの福祉経験の中で記憶に残るのも,売らんかなの,講演会(薄っぺらな経験…),論文紹介(読書感想文紛い…),出版案内(センセーショナルな副題…)などではなく,利用者さんとの今日の関わりに全力を注ぐ,普通で無名な方々に心を突かれた出会いでした。
※私の恩師は手書き原稿を編集者に渡すだけで装丁や帯(Book Band)は勿論,副題なんかにも無頓着で次の執筆に入っておられました。
若い皆様にお願いです,華やかに目立つ一時(いっとき)よりは,どうぞ「無口な職人」を続けていってください。
※こんなブログを書いている自分は失格です。