新潟の習慣なのでしょうか,毎年我が家ではお正月に「歳とり魚」と称して塩鮭の切り身を食することになっています。(ちなみに関西の方では鮭でなくて鰤(ブリ)なのだそうですが。)
食卓に並ぶ眩しいばかりのご馳走の中でもひときわその存在を主張していたのが切り幅10cmもあろうかと思われるその「塩鮭」でした。
そしてこの「切り身」にはもうひとつ秘密がありました。それは鮭の頭から尻尾に向かって家族の「年齢順」に切り分けられていたということです。つまり,お父さんが最も頭に近い部分で末っ子には尻尾が回されるのです。
しかも,正確には覚えていませんがその年功序列制は始めに「男性」が優先されていて母親の位置取りは最下位だったように思います。
それはとんでもないルールではありましたがお父さんの「存在感の大きさ」に比例した切り身の「大きさ」にどこか納得していた子ども心があったようにも思います。
一方で,年々小さくなる?お父さんの「切り身」は父親に代表される「大人存在」そのものの希薄化だったりするのでしょうか。
そう言えば,近年我が家の「塩鮭」は女房と息子たちの方が私のそれよりも何か大きいような気がしないでもありません。今年こそは確かめてみましょう。
皆様,良いお歳を!