新型コロナが日本経済に与える甚大な被害についてマスコミ報道されています。
そんな中でコメディアン「志村けん」さんの死亡が伝えられました。
私自身も,ドロドロの相談業務を終えて這うように帰宅した自分が,ドリフターズのコメディ番組にいつも救われ,気分をリセットして眠りに着いたことを思い出します。
ところで,新型コロナ問題の基本は「国民の命の保障」であり,日本政府が躍起となりながらも未だに混迷を続ける経済問題は必要とされるコロナ対策の一つに過ぎないように考えています。
同様の災害として,先の東日本大震災の仮設に暮らす人々が食べ物の次に求めたものは「空白の心」を満たし,癒やしてくれる歌声であり,笑いであり,暖かな「笑顔」だったはずです。
その意味で,志村さんの死亡報道が私達に与えた衝撃の本質は,大げさに言えば,日本における「笑いや癒やしの文化」としての象徴を失ったことへの悲しみや寂しさであり,この先への漠然とした不安だったように考えます。
もちろん,当面のイベント自粛,公演・公開の延期等はやむを得ませんが,無観客演奏会や展覧・展示の4K配信などの試みを強く応援するものです。
人が人間として生きていく上で「文化や芸術」は最も大切な要素の一つです。
いつの日かコロナ克服の日まで私達の「文化の火」を消してはなりません。
というより,長期戦が予想されるこれからのバトル(集団鬱)に必要な「心のサプリメント」と考えます。