毎年10月の第2月曜日は「体育の日」と定められている。
東京オリンピック(1964年)の開会式に由来したこの日に日本全国で笑顔に溢れるスポーツ関連イベント等が開催されることの意義は大きい。
しかし,同時に発出された一通の通達がその後の日本スポーツ発展の方向性を決定づけたのである。
総理府副長官との連名で都道府県知事・教育長へ通知された文部事務次官通達(1966年)によれば体育の日の趣旨について次のように述べられている。
体育の日においては(中略)健康や体力の保持増進に努め、ひいては明るく住みよい社会を建設することをねがつてこの日が制定されたのである。(下線筆者)
一方,原典「国民の祝日に関する法律」本文は単純明快な表現である。
体育の日 十月の第二月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
体育の日の趣旨として「明るく住みよい社会を建設する」という政策意図が文部科学省によって追加されていることがわかる。
(このことは文科省が「健康で体力ある人が明るく住みよい社会を建設」できると考えていることを表している)
結果して,体育振興による「明るく元気な『よい子』の育成」が文科省の意図するところであり,そのように育てられた児童生徒への評価が高くなる一方,運動が苦手で非力なタイプ(でも人に優しく読書好きで静かな子ども達など)が敬遠され低評価となる社会風潮(生きづらさ)を作り出してきたのではあるまいか。
また,文科省によって付け加えられたこの解釈が本来「個人」に属する「スポーツの意味」(意義)理解をゆがめ,オリンピックをも含めた現行スポーツ界の諸々の弊害を生起せしめていると言わざるを得ない。
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