6/30付け投稿に対して「トリアージ」に関するコメントをいただきました。
本来はW杯セネガル戦に関する投稿でしたが,時機を得た重要なテーマと考えますので新たに経過を追ってご紹介させていただきます。(投稿者に深く感謝申し上げます)
<元投稿>
…完治(勝利)する見込みの無い患者治療を中止(全力戦の放棄)して次の患者手術(試合)の準備をなさるドクターはおられません。
<コメント>
トリアージはそういうことだと理解してますが、違います❓重症の医療難易度高い人より、早く治る人を優先して治療しようと言うのが、緊急時のトリアージ❗と思って居ましたが、違いますかね?
<返信>
トリアージの概念は「負傷した戦士のうちから戦場に戻れる者を優先的に治療する」というものでした。(又野秀行 2008)
戦時概念としてのトリアージがその後「災害医療」に援用され「救急医療」に持ち込まれましたが「全ての患者を救う」という医療原則からは大きく外れた極限状態における例外中の例外行為と考えられております。
また我が国では対応の過誤における例の「善きサマリア人(びと)の法理」の適用も法的には認められておりません。
何よりもトロリー問題(trolley problem)に代表されるような道徳的ジレンマの吟味が全国民(患者)的には未完のまま医療者側によって先行実施されていることです。
個人的見解ですが,曖昧なままのトリアージ概念が「人が人の命を決める」出生時事前診断,障がい者理解,後期高齢者医療,年金改変などの方向性に与える重大な影響を気にしております。
※トロリー問題とは「ある人を助けるために他の人を犠牲にすることは許されるのか?」という倫理的考察