私たちは日常の様々な場面で「右か左か」「AかBか」と判断を迫られることが良くあります。
確かに「白黒」つけて明解に対立を処理していくことは一見「合理的」で好ましく見えますが,人間の営みはそんなオセロゲームの裏表のように単純なものなのでしょうか。
体内の雑菌をすべて死滅させた無菌人間がもはや生存不能なように,現実社会の多様な生き方や価値観の存在を「対立」として処理するところに高齢者や障がい者問題の解決などはあり得ません。
「理論」が奉仕すべき「実践」はそんな二律背反的な単純構造でないことを私達は経験的に知っています。
ですから?私は,薄明かりの夕暮れ,昼下がりのまどろみ,淡泊な湯豆腐,熱くもぬるくもない露天風呂などなど「いいかげんなもの」(好い加減)が結構嫌いではありません。